伊勢の神宮の昇殿や鳥居は、西暦690年から今に至るまで61回立て替えられている。ご神宝もそのつど作りかえられている。
これは、火災や老朽化のためではなく、20年ごとに繰り返される式年遷宮と言う歳時のためだ。
なぜこのようなことをするかと言うと、ご遷宮には、国がいつの世でも若々しく生まれ変わるようにと言う祈りが込められているからだそうだ。

これは、よく考えると、とてもすごいことだ。私たちは、1300年前の建築物を当時のまま見ることができるのだから。

現存する日本最古の木造建築は、西暦670年に焼失後再建された法隆寺だが、私たちは当時の姿を見ることはできない。
歳月による変化や、度重なる修復によって、まったくもって当時のままではないからだ。
建物の外壁、仏像などの極彩色は、残念ながら今となっては色あせて当時の様子を見ることはできない。
しかし、神宮は、なにからなにまで当時のままの方法、材料で作り直すのだから、
1300年前の人々が見ていたものと同じものを、今の私たちも見ることができる。
世界中探しても、千年以上前のものを、その当時のままの姿で見ることができるのは神宮ぐらいだろう。

20年という歳月は、もう一つの意味を持つそうだ。それは、技術の継承である。
宮大工や職人は、人生に3度ご遷宮に参加する。
20代で見習い、40代で作業の中核、60代で熟練の棟梁として指揮をとるそうだ。
自分のものだけではなく、次に続くもののために技術を学び伝えていく。
それによって、神宮の建築様式、建築技術、工芸技術は、1300年前から変わることなく受け継がれ、
そしてこれからも、神宮の姿は変わることはない。


私は、神宮に、私たちが今どのように生きなければいけないかのヒントがあるように思える。
神宮は、1300年前の姿を変わらず後世につたえるためにありとあらゆる努力をしている。
人もそうではないのだろうかと言うことだ。

よく、努力している人は「変わらないね」と言われ、努力していない人は「変わったね」と言われるみたいだ。
たしかに、何年かぶりにあった人が、その当時の印象のままの頭の切れ味を持っていて知識も豊富だったり、
体型を維持していたり、綺麗だったりしたら、私もそう思うだろう。
と、言うのも、私にもマイナス面で心当たりがあるからだ。
私は、たまに会う人に「太ったね!」と、よく言われる。最近特にそうだ。
しかし、自分ではなにもしていない、つまり、生活習慣や食べるものもなにも変えていないのにだ。
だが、それがいけない。
人間は、なにもしなければ、老化やまわりの情勢(進歩)によって、下降線をたどるだけで、
それを努力によって、上向きな線に変えて、初めて変わらないとなる。
先ほどの、その当時の印象のままの頭の切れ味を持っているひとの例でいえば、
技術はどんどん進歩するわけだから、きっと学習を続けて、新しいことを取り入れているのだろう。
つまり、その人のことを「変わっていない」と思ったとしたら、きっとその人は「変わっている」のだと思う。
変わらないことは、変わるということだ。
神宮はそのことを教えてくれている。


また、これは、人の一生に限ったことではなく、私たちが生きている国や地域、働いている会社にも言えることだ。
つまり、「変わらない努力」をしなければ、衰退していくだけだ。
会社を例にとれば、よく30年存続する企業は、千三つといわれるほど少なくなるそうだ。
それは、創業時のDNAが世代交代をするたびに伝わらなくなるのも一つの要因だと思われる。
起業時のDNAがなぜ伝わらないのか。創業者が掲げた理念は、目に見える形で文章になっているのにも関わらずだ。
それは、おそらくDNAは文章ではなく、体験を通じてしか伝わらないのではないかと思われるからだ。

例えば建築にしても、数多くの古文書が今も残されているが、それだけを使って今にその当時のものを再現せよと言っても不可能だろう。
ましてや、その文書の裏にあるその当時の人々の思いを正確に知ることは、それ以上に不可能であると思われる。
しかし、神宮においては、「国がいつの世でも若々しく生まれ変わるように」と言う祈りが、
ご遷宮という体験する形で今に至っているゆえ、その当時の人々の思いを今でも体験を通じて感じることができる。
そして、自分で感じられるからこそ次の世代に伝えることもできる。

子孫につなげていくものは、命だけではない。
過去から現在、未来へと生きていくための知恵も確実に伝えていかなければならない。
神宮は、「変わらない努力」の先にあるものとして、そのことを教えてくれている、そう思うのである。

30代 男性